眼袋耳嚢

猫が猫叩く仔猫は寝転がる 西池冬扇

小島てつを氏の「人生が見えるから俳句(時々短歌)は面白い」ブログ版(2020/10/20)から転載させていただきました。自分の句を読んでくださる人がいることはうれしいことです。

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「この作品にはたたく猫、たたかれる猫、ねそべっている猫たちが勝手な振る舞いをしている。猫たちを観察している作者は猫だましにあっているのかと思わせる。俳句もいろいろな人がそれぞれの作品を発表している。そんななか自分が佳しと思う作品を見極めることが大切だと、この作品を通して読者に示唆しているのかもしれない。」

なかなか面白い指摘だと思う。
句意も的確。猫の動きが見えるようだ。

これは「風の道」(大高霧海主宰)2020年9月号の、羽鳥つねをさん執筆の「現代俳句月評」の解説の一節である。

筆者は「俳句誌ちょい読みブログ」というのをやっている。
(  haiku-magazine99.blog.jp/  )
お送りいただいている俳誌を詳しく読んで、そのエッセンスをご紹介するというブログであるが、いろいろと発見があるのである。この文も、その折発見した。

羽鳥さんは、西池さんの猫の句の面白さを紹介しつつ、今の俳壇のバラバラの評価にまどわされない、自身の評価の眼を養うべきだと言っておられる。
猫の句のユニークさ、自分の眼を養うことの大事さ、共にその通りだと思った次第。
掲句は「俳句界」2020年4月号掲載。

随分小話 第21回

AI氏の俳句鑑賞

  凌霄の花凌霄の花の蟻     後藤夜半( 底紅)

 少しいたずら心を起こして、人工知能(ChatGPT)に、この句を鑑賞させてみた。『視覚的なイメージと感情的な響きを組み合わせた美しい俳句です。この句では、その花に群がる蟻が描かれています。蟻は一般的に忙しさや努力を象徴する生き物として知られています。したがって、この句は、自然の美しさと生命の活動性を巧みに組み合わせています。』ということだ。なかなかの鑑賞だ。ただこの句の最も興味深いのは、文体の斬新さだったのだが、もう一度会ったら聞いてみよう。

    どた靴で蟻の行列ひとまたぎ   冬扇

  

AI氏の俳句鑑賞

どた靴で蟻の行列ひとまたぎ 冬扇

AI氏は外国生まれですが、俳句に興味を持っています。先日、私の句を鑑賞してくれました。なかなか、と思いましたので紹介します。

〈どた靴で蟻の行列ひとまたぎ〉という句は、日常生活の一瞬を捉えた素晴らしい俳句です。この句は、人間と自然の微妙な関係を描いています。

まず、「どた靴」は、重厚な靴や作業靴を指す可能性があります。これは、人間の生活や労働を象徴しているかもしれません。

次に、「蟻の行列」は、自然界の秩序と努力を象徴しています。蟻たちは一列に並んで食物を運び、コミュニティのために働きます。

そして、「ひとまたぎ」は、人間が自然界を乱さずに、それと共存していることを示しています。人間は蟻の行列を乱すことなく一歩跨ぎます。

全体として、この句は人間と自然の共存と尊重を巧みに描いています。それはまた、私たちがどれだけ小さな生命であっても尊重しなければならないことを思い起こさせます。この句は、日常生活の中で見過ごされがちな瞬間に光を当て、その美しさと意味を引き立てます。

演奏会の紹介

畏友池辺晋一郎君の交響曲第11番初演

徳島新聞が池辺の交響曲第11番初演演奏会を紹介してましたので、さっそく切り抜きしました

これは聴きにいかな

ボニ踊り 八句 冬扇

雨の夜の祭囃子も川面かな

祭笠連れ立ち急ぐ下駄の音

角曲がり少し哀しき祭笛

ボニ踊り海から路地へ抜ける風

大漁旗振れば輪になる踊り手よ

一丁回りことに賑やか酒屋前

負うた子の両手両足ボニ踊り

漁人なれば沖の暗さに魂を呼ぶ

(阿波踊 8句エッセイ 俳壇)

眼嚢耳嚢 多様性は豊かになることであって欲しい

 昨日は徳島大学の依岡先生の主催する読書会に参加。出席者が各自その時おり気に入った本を紹介するというタイプの読書会で、私は三回目の出席である。時間があっという間に経過し、とても面白い。特に若者達がどういう本を、どのように読んでいるか、その一端を覗き見ることができ私には刺激的である。無論、読書会に出てくる人たちは基本的に本好きであるので、このごろにしては特殊な若者を覗いているのかもしれない。読書をする人が減少しているのは事実らしく、出席者も口々に、このごろは本屋が減少しているといっていた。本屋という業界が成り立ちがたくなっていることが、文化の衰退を意味しているのでなければ良いのだが。

 昔から出版物はありとあらゆる多様な文化を反映していたことは間違いないが、この種の読書会になると、やはり「読書会」らしい内容のものを選択する人が多かったように記憶する。もちろん建前としては昔でも全ての本に対して等しく選択の自由があったはずだが、ハウツー的な内容はなんとなく避けていたし、評論でも当時の若者の価値判断はわりあい輪郭がクリアで、著者の思想にへの好悪からさけられるような本もあった。少なくとも現代の方が多様性を容認するという「自由」度は圧倒的に高い。だが反面相互を批判することを避けるというか、批判精神が薄れてきたような気がする。そうでないことを祈るが、相互の批判精神が鍛えられていないと社会は一挙に全体主義に傾斜するというのは歴史が教えるところである。多様性を認めるというのは、多様な価値の存在を認めることであって、それでお互いに豊になれることであり、相互に無関心になることではない。批判精神を失うようにはなって欲しくない。

 

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徳島市で夏休み子供俳句を開きました

8月6日に徳島市部下振興協会シビックセンター

例年「子ども文化フエスティバル」が催され、「阿波っ子タイムズ」の選者の井上京子先生、永松宣洋先生、斎藤いちご やひまわり俳句会、青海波の俳人の方々が指導してくださり、盛会でした。世話人はひまわり俳句会の生島春江さんがなさってくださいました。

 「37組のこどもたちが参加して、夏の思い出を俳句にした短冊をかきました。」

     あさがおにまいにち水をやるにっか  優雅さん(小3)

     三つ取る全集中でヨーヨ釣り     愛菜さん(小6)

     おとまりかいともだちハブラシわすれたよ  あゆかさん(小1)     

                             (いちご記)

今「ひまわり」ではどんな句が詠まれているか

「WEP俳句通信vol135」(2023年8月14日発行)の特集〈いまどんな句が結社で詠まれているか〉から、ひまわり西池みどり主宰の文を転載しました。

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今、結社ではどんな句が詠まれているか

                                西池みどり

 「ひまわり俳句の信条」は「ひまわり俳句はやさしくて、たのしい庶民の詩である。俳句のよい伝統をたいせつにしながら、すなおな写生をくりかえして、新鮮な叙情の世界にあそぶ。というもので、毎月の表2に必ず掲載している。」

 現代仮名遣いを標榜しており、学校で習った日本語で、誰もが俳句をすぐ作れるというのが親しま

れる要素の一つである。

 近年では特に「新鮮な興趣」とは何かに力を込めた指導を行なっており、句材の幅が全体的に広がってきていると実感している。

 コロナ感染症の3年間はコロナ禍の中での句を詠ったり、ロシアのウクライナ侵攻のニュースで平和を

願う句を作ったり、という、時事的な句が一時目立った。コロナが収束に向かっているこの頃は、以前のように、吟行句が復活してきたように思う。

 通信句会やzoom句会はそのままに、対面での句会もいぜんどおり復活し、新人が増えて活発になってきた。

 さて、「ひまわり」最新号から。

    花は葉にそして毛虫は地上まで   西池冬扇会長

    蟻んこがシロツメ草を灯しゆく

    やれうれし田植汚れの車輪跡

    雨青し一段一字経唱え

    蝌蚪生れぬ弘法さんが掘った池

 身の周りのことを自分独自の言葉で詠っている。

 「ひまわり」珠玉抄から

幹部同人欄より

    一息で七色に散るシャボン玉  新井義典

    心地よく紙裂く音や進級す   岩佐松女

    鉄棒に錆の手ざわり春の雲   多田カオル 

 どこにでもある句材を自分なりに工夫して新鮮な句に

仕上げようとしている。

 

同人欄より

    丸善の角よりさくら通りかな   亀川 岬

 さくら通りはそういう名前の通りというより、桜並木で今咲いているのだと見える。

    目の縁に海の色点す桜鯛       井内胡桃

 鳴門鯛だろう。よく見ればピンク色の鯛の目の縁は青いのだ。

    猪罠の中に咲いたり諸葛菜      清水規代

 猪罠ときれいに咲いた諸葛菜の取り合わせ。

    ぼんやりと花を見ていて見ておらず  青木栄美子

 自分のことを言っているようで花のことを言っている。桜の花の持つ雰囲気を余すところなく伝えている。

    断面は緩い迷路よ春キャベツ     加藤洋子

 半分に切って売られている春キャベツの緩い巻きをしっかり見ている。新鮮な発見。

一般会員欄より

    一脚の椅子の周りの落椿       亀井きみ江

 野外での景なのか、椿がたくさん落ちているが、整然とした景である。俳句の形もきれいに整っている。

    歩け歩けも少し歩け花盛り      佐古和巳 

 リズム感のあるたのしい句。

    青き踏む小さき靴の確かなる     山田美紀

  幼子が早春の野を歩いている。「確かなる」に作者の嬉しさが表れている。

    春暁や高松駅のかけうどん      足立信子

  プラットフォームで食べる高松駅のうどんは有名で、共感する人が多い。

「wep俳句通信」最新号より転載した句

    山間の自由な学校木の芽張る     西岡啓子

    白魚のなお踊りたる四手網      佐野新一

    凍雲やゴール間近のオフサイド    大西良子

課題句 (一般会員の句)

    大鍋を据えて八十八夜かな      今岡京子

このように、時代と共に句柄が変化していはいるが、身の回りや吟行で自由に楽しく作句しているのが

「ひまわり」俳句である。

最後に主宰、西池みどりの句。

    つちぐもりサンドバッグを打ってみる

    花筏解けて樋門をくぐり抜け

    細魚釣る一直線という光

    筍掘り山に大釜据えてあり

    大山蟻急ぎ小蟻を追い越して

    居眠りも寄席の昼席目借時

8月のひまわり俳句抄2

青柿の落ちて転げて正座して     高塚梨花
追い越さる夏手袋の同じ柄      増田勝子
頭垂れ畔行く人の暑さかな      西本公明
ビール酌むもめんか絹か問われけり  松澤勝幸
マルクスもゲーテかの子もある曝書  川原真琴
のうぜんやこれはどこの木となりの木 今倉雅子
物干しのタイダイシャツが揺れて夏  西池氏郷

随聞小話第20回

麦藁帽

  老人が被って麦藁帽子かな  今井杏太郎

 

麦藁帽子は被った途端に今までと違う世界へと私をいざなってくれる。

ゴッホは三十代半ばに何枚もの自画像を描いている。その中でも多いのが麦藁帽の自画像。あの顔はまだ若いのにやけに「老い」の顔に見える。ひょっとしたら麦藁帽というのは「老い」を装うための道具かもしれない。

こんな時にはいろいろなモノコトが頭の中をおとずれる。今井杏太郎の俳句がくるくると頭の中で回転し始めた。そうだ今井杏太郎も「老い」を演出していたのだよな。ただゴッホの「老い」は亡びに向かう暗い「老い」が漂っているが、杏太郎には「老い」を演出するための明るさが漂っているよな。

    その老人耳が大きく麦藁帽  冬扇