淡路島へ吟行にいこう

どなたでも参加できます 俳人協会徳島県支部が毎年二回計画する吟行です

日時  令和5年10月15日(日) 日帰り

吟行先 淡路島国清禅寺・滝川記念美術館・高田屋顕彰館・歴史文化資料館

集合場所  8:00 阿南商工会議所

      9:00 徳島駅前ポッポ街入り口

参加費   7000円(昼食代他込み)

申込    所属結社の担当の方 あるいは 09049566460(支部事務局長 新井義典へ)

お問合わせ  新井事務局長、あるいは ひまわり発行所(088-642-1406週日午前中のみ)の方へ

       ご連絡ください。

                          

  

7月号のひまわり俳句抄


青梅の落ちてピアノのソの響く    蔵本聖子

気が付けば来た道がない木下闇    木村 修

すかんぽやぽんと日向の音立てて   萩原善恵

真向かうは閏如月二日月       錦野斌彦

ミキサー車に亀の子束子青田風    元木悦子

ハエトリグモ顔を出したり隠れたり  新井義典

蒸しパンのうまく膨れて昭和の日   平尾紅葉

本の紹介

つげ義春・大崎紀夫・北井一夫『つげ義春流れ雲旅』

 つげ 義春と聞くだけで興奮するファンもいるだろう。漫画雑誌『ガロ』を通じて60年代後半から1970年代前半に活躍。『ねじ式』『ゲンセンカン主人』『紅い花』などの名作を残した。『ねじ式』が表現した異様な空間の衝撃はすごかった。またキクチサヨコの切ないという不思議な言葉はいまだに脳の奥から時々ひびく。

 彼の作品は当時の読者に読み解く試みを誘発し漫画評論の発展のきっかけとなったと評価される。なんと2022年に日本芸術院会員となっている。ふーんと思う。つまりファンとしてはよろこんでいいのやら、悪いのやら。推薦理由は「人間存在の不条理や世界からの疎外を垣間見せる『文学的な』表現によって、自己表現としてマンガを捉える青年たちに絶大な影響を与えた」はそのとおりだからまあいいか。

 彼は寡作。全盛期の彼が当時朝日新聞社の記者だった大崎紀夫氏(俳人。『朝日俳句』の編集長を経て『ウエップ俳句通信』の編集長)や北井一夫氏(著名なカメラマン。当時のアサヒカメラの「村へ」「そして村へ」は人気連載だ)という豪華メンバーと「日本」を求め、というか温泉を求めてだよね、ての旅行記。1971年朝日ソノラマ初出で今年2023年に新装で再版された。つげ義春の世界プラスアルファがあの時代の魑魅魍魎の如く復活してくることウケアイ。三人のファンは必読。 ( 2023年1月 朝日新聞出版 2600円プラス税 )

 

随聞小話第十九回

随聞小話第十九回

ホトトギス

  ほととぎす 平安城を 筋かいに  与謝蕪村

 

今年はホトトギスの声が例年になく多い。梅雨になって激しい降雨が続くので気候の変動が起こった結果かもしれぬ。

さてホトトギスには、昔の都人ならずとも、初音(忍び音)を待つという楽しみがあるが、「ザ季語」ゆえの種々の興趣がある。近代以降は〈谺して山ほととぎすほしいまま  杉田久女〉など威勢がよいのが主流。 

他にも「啼いて血を吐く」というマイナー調の趣もある。蕪村の掲句も私には、なにやら不吉なモノを感じる。中国故事による「蜀魂」という名前のせいかもしれぬ。

    ホトトギスやがて静かに雨となる  冬扇 

6月号の「ひまわり」俳句抄

一息で七色に散るしゃぼん玉             新井義典

花冷えや掌に温めいる美容液     井上京子

春寒し投票箱の口二つ        西田佐和江

川床料理一品ごとに暮れてゆき    山田央子

蕨摘み帰ると言うて五六本      山下和子

晴男と雨女いて花曇         元木悦子

歩け歩けも少し歩け花盛り      佐古和巳 

随聞小話(2023年6月号)

随聞小話第十八回

  蛍来てともす手相の迷路かな 寺山修司 

 

いつのころからだろう、蛍が、はかない命の象徴のように考え始められたのは。

枕草紙では【螢の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。】とあり、興趣は「あはれ」でなく「をかし」である。現代では、〈たましひのたとへば秋のほたる哉 飯田蛇笏〉、〈 じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子〉があるように命や「はかなさ」の象徴とすることが多い。掲句の寺山修司は前衛演劇「天井桟敷」の主宰者、俳句短歌を嗜み、私も愛読している。その寺山であっても蛍の昔からの興趣から逃れられない。それほど日本人の心に根付いている。

    生臭き手のひら蛍飛び立ちて  冬扇 

眼袋・耳嚢

時々、心に残っているあれやこれや

    ○そうだ、宮沢賢治だよね

    佐藤映二氏は『宮沢賢治と現代俳句』という論考(「現代俳句」2023年6月号P25:賢治没後九十年「春と修羅」刊行百年記念)を発表した。私も若い頃のように、賢治に関する論考は全て眼を通すという体力はなくなったが、それでもたまたま眼にすると忙しくても読んでしまう。論考は佐藤氏の句集『羅須地人』に対する筑紫磐井氏の論評を起点にしている。この句集は読んでいないが句集中の賢治への思い入れの強そうな句を載せてあるので楽しい。

       青嵐どの葉もみんな鳥になれ     映二

       どんぐりの黄金の赤子がぶらんぶらん 映二

     磐井氏の論評の視座は時空の広がりを要求するところにある。【俳句の側からジャンルの外へ発信する】という視座は現在貴重である。そのことを佐藤氏の句集に対する所感としてのべているのは納得感がある。そのうえ、映二氏が私の俳句を引用してくれているのが、そうなんだよねと、うれしかった。

       鹿跳ねてうんにゃそいつはマスクだべ  冬扇

       冬銀河この身の浮いて行くところ    冬扇

     個人的には、中学時代から大学時代までが最も熱中して賢治の世界に入り込んでいた時代である。大学に入学した年の秋、それまで女手ひとつで苦労をかけた母親へ恩返しと東北旅行に連れ出したが、その時選んだ目的地の一つは花巻の羅須地人協会跡であった。だが、そのころが一番熱中していた頃だったと思う。大学の教養学部時代に畏友K君が私の賢治贔屓を、半ば本気で、揶揄したことがある。「えーつ、おまえには賢治は無理無理、だって例の写真、あれみたら俺にもおまえにも無理だと思う」、そのようなことをいった。「例の」というのは椅子に座った賢治がっちりがん下指で手のひらを組み、右下の方を見てうつむいている写真だ。ともかくそのころの若者の脳髄には古今東西の思想が怒濤のように侵入してくる、そういう年頃だ。今から考えると解ったような解らないような友の批判であったが、がーんと来たことは斧得ている。Kのせいだけではないのだが、いつしか賢治熱は下がったのは、あまりにも賢治がブームになりすぎて気恥ずかしくなったからだと思うことにしている、二回目の筑摩書房の『宮澤賢治全集』が出そろった頃だ。たしか七十年安保の前のころのことである。

     とはいえ、その後も賢治の著作は繰り返して読んでいる。評論もぽつりぽつりとは読む。吉本隆明の『宮沢賢治』(筑摩書房)や見田宗介の『宮沢賢治:存在の祭りの中へ』(岩波書店)は蔵書の中に埋もれずときおり参考に読み返す。俳句の中では賢治の言語空間は確実に活きていて、私と時空の座をときおりともにしている。

    随聞小話

    随聞小話第十七回

    捻り花

      山男くる捩花の小鉢提げ 高井北杜 

     

    捩花はいわゆる雑草だ。このごろブームの牧野博士が雑草にも一つ一つ名前がある、とドラマの中で力説していた。「雑」には「お前ら役たたずめ」という意味合いを感じるからだろうか。でも雑巾はルムンバの活躍する現在でも重宝。雑民という言葉も私は嫌いではない、雑踏は嫌いだが。雑の対立概念は多々あるが、一番危険なのが「雑と純」だ。

    雑草はどれも個性が強い。捩花は短い芝生のあちこちつんつんとピンク色で揺れている。見つけると、折り採って指先でくるくる回してみたくなる。らせん状の花の行列が上へ上へと昇り不思議な感覚に陥る。

       (ねじ)り花あの世へ人はぞろぞろと  冬扇