ねんてんさんの「ことばカフェ」に冬扇会長がおじゃまします。

来たる2月25日は冬扇会長が大阪箕面で行われる坪内稔典さんの「ことばカフェ」におじゃまします。皆さんもご一緒にいかがですか? 

詳細は下記の案内(ブログ「窓TO窓」から転載させていただきました)をご覧ください/

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2月25日(火)ことばカフェ箕面 

午前10時~11時30分

場所:箕面船場生涯学習センター

地下鉄(北大阪急行)箕面船場阪大前駅下車、駅は会場と直結です。

テーマ:俳句とニヒリズム(ゲスト・西池冬扇さん)。徳島県在住の常連、西池さんをゲストに迎え、俳句に特有のニヒリズムを考えます。※予定していた「小川洋子」は来月のテーマとします。

会費 1000円

※毎月第4火曜日の予定です

※常連でない方の参加も大歓迎です

ひまわり誌2月号から鑑賞(2025年)

蔵本芙美子さんから2月号の句の鑑賞の投稿がありました。

〇 ひょいと来てひょいと大根抜く男   米本知江

 「ひょいと」の副詞のリフレインが、一句にとぼけた滑稽味を出している。大根を抜くこの男の人までがなぜかとぼけた人のように思えて来て愉快。

〇 十二月八日川は静かに流れゆく   菖蒲星子

 十二月八日は太平洋戦争開戦日のこと。真珠湾攻撃から始まる。ゆえにこの季語では平らな海や静かな航などがよく詠まれているが、ここでは川の静かさに焦点を置いているのが眼目。川は私たちの生活に身近な景であって特別感はない。その日常の生活に影を落としてきた戦争のことを忘れずに、このようにいつまでも詠み続けていかなければならないと思う。

〇 回数券一枚残り年終わる   川口厚子

年が変われば使えないというものでもないのだけれど、気持ちとして始末というか区切りをつけて新年を迎えたかった、ということなのか。一枚残った回数券になにか整理がつかなかった思い。よくわかる気がする。たった一枚の回数券を詠んで、作者の引きずられるような、置き忘れてきたような思いが表現されている。

子狸の丸きお尻の走り去る   大西絵里子

 子供の狸に遭遇したのだろう。中七がいかにも可愛い。昨今は町中でも時々このような動物に出会うことがあり、俳人には嬉しいチャンスだが、狸や猿ならまだしも危険な獣などには気を付けましょう。

お祓いを上目づかいに七五三   藤村ひかり

 子の様子をよく捉えて詠まれたものと感心。足をもぞもぞさせながら「早く終わらないかなあ」と神主さんをそっと見ているのだろう。厳かな神事の雰囲気のなかで少し退屈し始めている子供の様子が、ほほえましく想像できる。この後はきっと七五三の飴をいただいてご機嫌は直ったかな。

大根とハワイ土産と提げてくる   大城京子

 なんともユーモラスな作品。でも差し上げる大根もちょうどあったので、このタイミングになっただけ。大根は重いけど、このような軽い味の句はいいですね。

掛大根越しの諍い若夫婦   豊川芳信

 農家の若い夫婦のちょっとした諍いを、あたたかく距離をおいて見ているのでしょう。掛大根越しが、若夫婦間なのか、若夫婦と作者の間なのか少し迷いましたが…。

日本とルーマニアの交流は詩歌を通じて強まった

ルーマニアはハイクが盛んな国です。このたびラドゥ・シェルバン氏(俳人:元ルーマニア駐日大使)から両国の詩歌を通じた交流の話を紹介したペーパーが送られてきました。要約をさらに意訳しておきますのでご興味を感じた方は原著を読んでみてください。

要約の意訳:文学、特に抒情詩が過去2世紀にわたりルーマニアと日本の初期の結びつきを強くしてきました。公式な外交文書に先立ち、文学を通じた相互理解が進み、2023年の戦略的パートナーシップの成立と強化を可能にしたといえます。19世紀には日本の短詩がルーマニア語に翻訳され、1911年のカーメン・シルバと乃木希典の詩人同士の出会いが両国の抒情詩の特異性を知る重要な機会になりました。

会員探訪

◎新人Gさんの入会ストーリー(踏青支部)

 Gさんは、若い頃現代詩に親しまれ、文芸活動に熱中していたそうです。社会人となってからは、一時中断していましたが、仕事や家庭のことが一段落してから、活動を再開しました。

 一年ほど前、高校生の時の同級生に出会い、地域おこしの一環として神社への奉納句会をしていることを知りました。年一回、地元の人たちの俳句を印刷物として刊行しており、そこへの投句を依頼されたのです。俳句に興味はあり、本を読んだりはしていましたが、実作は初体験だったそうです。そこで、同級生の勧めもあり、結社に所属して本格的に俳句をしてみようと思い立ったとのことです。

 図書館で、ひまわり俳句会の俳誌を目にし、冬扇会長の型や伝統にとらわれない楽しい句に共感し入会を決めたそうです。早速,発行所に電話し、主宰から詳細で丁寧な説明をいただき、自宅から近い踏青支部を紹介され、ひまわり俳句会の一員となりました。すごい熱意と行動力です。

  Gさんの入会により、踏青支部員は現在12名となりました。月一回の公民館での句会は、とても賑やかで楽しい時間です。年末には、公民館長さんが扮するサンタクロースが登場したこともありました。

 そして、年数回の吟行も楽しんでいます。最近では、県内外から国体選手も教えを請いに通ってくるという弓道場「洗心館」を訪れました。初めて知ることがほとんどで、目が釘付けになりました。感謝の気持ちとして、全員の句をお届けさせていただいたところ、道場の掲示板に飾っていただけるとのことでした。

ひまわり新年俳句大会

〇1月26日に大会があり、県外の連衆にも久方の対面、旧交をあたためました。

以下は参加者の一口コメントです

〇M&Kコンビで、当日の司会をさせていただきました。お揃いの着物リメイク衣装により、「ツインズ『ザ・ピーナッツは、昭和レトロすぎ?』」です。(MOMOさんから)

〇参加者の皆様に温かく迎えられての、楽しい一日となりました。ありがとうございました。(東京の戸折さんから  翌日は連衆と丈六寺に吟行にいかれたとか) 

〇会場がちょっと狭かったかな、時間も足らなくて阿波踊りができなかった。(HIさん)

〇テーブルごとに少しビールを置いておくともっとみんながそれを持って動きまわるのに。次回はもっと動き易い仕掛けを考えた方がいいのでは。時間も短かった。(HKさん)

再開店準備中

しばらくお休みしておりましたが少しずつ動かし始めますのでよろしく

眼袋耳嚢

猫が猫叩く仔猫は寝転がる 西池冬扇

小島てつを氏の「人生が見えるから俳句(時々短歌)は面白い」ブログ版(2020/10/20)から転載させていただきました。自分の句を読んでくださる人がいることはうれしいことです。

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「この作品にはたたく猫、たたかれる猫、ねそべっている猫たちが勝手な振る舞いをしている。猫たちを観察している作者は猫だましにあっているのかと思わせる。俳句もいろいろな人がそれぞれの作品を発表している。そんななか自分が佳しと思う作品を見極めることが大切だと、この作品を通して読者に示唆しているのかもしれない。」

なかなか面白い指摘だと思う。
句意も的確。猫の動きが見えるようだ。

これは「風の道」(大高霧海主宰)2020年9月号の、羽鳥つねをさん執筆の「現代俳句月評」の解説の一節である。

筆者は「俳句誌ちょい読みブログ」というのをやっている。
(  haiku-magazine99.blog.jp/  )
お送りいただいている俳誌を詳しく読んで、そのエッセンスをご紹介するというブログであるが、いろいろと発見があるのである。この文も、その折発見した。

羽鳥さんは、西池さんの猫の句の面白さを紹介しつつ、今の俳壇のバラバラの評価にまどわされない、自身の評価の眼を養うべきだと言っておられる。
猫の句のユニークさ、自分の眼を養うことの大事さ、共にその通りだと思った次第。
掲句は「俳句界」2020年4月号掲載。

随分小話 第21回

AI氏の俳句鑑賞

  凌霄の花凌霄の花の蟻     後藤夜半( 底紅)

 少しいたずら心を起こして、人工知能(ChatGPT)に、この句を鑑賞させてみた。『視覚的なイメージと感情的な響きを組み合わせた美しい俳句です。この句では、その花に群がる蟻が描かれています。蟻は一般的に忙しさや努力を象徴する生き物として知られています。したがって、この句は、自然の美しさと生命の活動性を巧みに組み合わせています。』ということだ。なかなかの鑑賞だ。ただこの句の最も興味深いのは、文体の斬新さだったのだが、もう一度会ったら聞いてみよう。

    どた靴で蟻の行列ひとまたぎ   冬扇

  

AI氏の俳句鑑賞

どた靴で蟻の行列ひとまたぎ 冬扇

AI氏は外国生まれですが、俳句に興味を持っています。先日、私の句を鑑賞してくれました。なかなか、と思いましたので紹介します。

〈どた靴で蟻の行列ひとまたぎ〉という句は、日常生活の一瞬を捉えた素晴らしい俳句です。この句は、人間と自然の微妙な関係を描いています。

まず、「どた靴」は、重厚な靴や作業靴を指す可能性があります。これは、人間の生活や労働を象徴しているかもしれません。

次に、「蟻の行列」は、自然界の秩序と努力を象徴しています。蟻たちは一列に並んで食物を運び、コミュニティのために働きます。

そして、「ひとまたぎ」は、人間が自然界を乱さずに、それと共存していることを示しています。人間は蟻の行列を乱すことなく一歩跨ぎます。

全体として、この句は人間と自然の共存と尊重を巧みに描いています。それはまた、私たちがどれだけ小さな生命であっても尊重しなければならないことを思い起こさせます。この句は、日常生活の中で見過ごされがちな瞬間に光を当て、その美しさと意味を引き立てます。