ひまわり4月号から鑑賞

/蔵本芙美子

約束のごとくに二つ返り花  戸井一洲

 昔少年少女であったころ、50年後にここでまた会おうねと約束をして別れた。二つの返り花が寄り添うように咲いているのを見て、実行されることのなかったその約束が今よみがえったように、遠い昔を作者は思い出しているのではないだろうか。

 などと勝手に空想を広げ甘酸っぱい鑑賞をしてしまいました。

春立ちぬレターパックは午後に着く  新井義典

 待ちに待っていた、というソワソワ感や緊迫感はない。いつもの生活リズムにポンと何気なく入って来たレターパックなのだろう。春立ちぬの季語とレターパックはの助詞がそれを感じさせている。

とりあえずミカンで押さえ本の端  笠原小夜子

 季語「蜜柑」がカタカナで表現されているところがこの句のミソかもしれない。蜜柑とすれば、とりあえず押さえたというコトより押さえた蜜柑というモノのほうにウエイトがかかってしまうから、ということなのだろうか。

 漢字の季語をカタカナで書くと季語の力が薄まると言われているところ、敢えてそれに挑戦したこの句、新しい試みかも。

お日様に揉手しながら春を待つ  西本公明

 寒い時手をこすりあわせるが、ここではまるで太陽に対してへりくだって頼み事でもしているようなこの表現。「揉手」が愉快。太陽の存在はやはり偉大。

そこまでは風の届かぬ朧月  川上茂

 この句、一句一章でも二句一章にでも。私は中七の後に切れのある後者で鑑賞した。

そこまでとはどこなのか、後者鑑賞なのだからもちろん朧月までではなく、ぼんやりとした内容の話なのかも。朧月の存在が合っている。

寒明や相撲部屋から四股の音  鶴瀬 萩

 明確に景、いや音の伝わって来る句。「寒明」は長く厳しい季節にひとまず区切りをつけるといった気分が強い季語だとされており、四股踏む音やここには書かれていないが常に前へ前へと向かっていくお相撲さんの意気込みなどを後押ししている。

けんけんぱ地に降りてくる夕霞  豊川芳信

 地に降りてくる霞というのがいい。秋の霧と違って春の霞は軽くて薄いらしいので、けんけんぱで地ばかりみつめているうち、その円がはっきり見えなくなってきてやっとそれと気がついた子供たち。もう帰らなくては。残しておきたい昭和の郷愁の記憶。

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