眼嚢耳嚢 多様性は豊かになることであって欲しい

 昨日は徳島大学の依岡先生の主催する読書会に参加。出席者が各自その時おり気に入った本を紹介するというタイプの読書会で、私は三回目の出席である。時間があっという間に経過し、とても面白い。特に若者達がどういう本を、どのように読んでいるか、その一端を覗き見ることができ私には刺激的である。無論、読書会に出てくる人たちは基本的に本好きであるので、このごろにしては特殊な若者を覗いているのかもしれない。読書をする人が減少しているのは事実らしく、出席者も口々に、このごろは本屋が減少しているといっていた。本屋という業界が成り立ちがたくなっていることが、文化の衰退を意味しているのでなければ良いのだが。

 昔から出版物はありとあらゆる多様な文化を反映していたことは間違いないが、この種の読書会になると、やはり「読書会」らしい内容のものを選択する人が多かったように記憶する。もちろん建前としては昔でも全ての本に対して等しく選択の自由があったはずだが、ハウツー的な内容はなんとなく避けていたし、評論でも当時の若者の価値判断はわりあい輪郭がクリアで、著者の思想にへの好悪からさけられるような本もあった。少なくとも現代の方が多様性を容認するという「自由」度は圧倒的に高い。だが反面相互を批判することを避けるというか、批判精神が薄れてきたような気がする。そうでないことを祈るが、相互の批判精神が鍛えられていないと社会は一挙に全体主義に傾斜するというのは歴史が教えるところである。多様性を認めるというのは、多様な価値の存在を認めることであって、それでお互いに豊になれることであり、相互に無関心になることではない。批判精神を失うようにはなって欲しくない。

 

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