慈愛・進取の碑

関寛斎の記念モニュメント

 関寛斎のことは司馬遼太郎がたびたびその著書(『誇張の夢』『街道をゆく・阿波紀行』『街道をゆく・北海道の諸道』等で述べなかったら、一部の人にしか存在が伝わらなかったであろう。

 維新後徳島で民間の医者として赤ひげ先生を地でいったような活動をした関寛斎の診療所は今の城東高校の敷地内にあったそうである。うれしいことに城東高校(1902年徳島高等女学校として設立)では創立90周年時に記念事業の一つとして寛斎を顕彰する『慈愛・進取の碑』を建立した。だが、この碑は学校のキャンバスの中にあるので普段は一般の人の眼に触れにくい。

 実は昨日は司馬遼太郎の100回目の誕生日である。偶然にも、その日に、産経新聞の記者の方が司馬遼太郎生誕100周年記念の企画で『街道をゆく』の取材に来られた。それで、徳島経済研究所の里常務理事と寛斎の胸像にご案内することになったのだが、ちょうどよい機会だからと城東高校のモニュメントも見せてもらいたいということになった。藤本校長先生や元校長の亀井先生にお願いしたらば、快くお受け下さり、モニュメントをみせていただいた上に建立当時の資料などを見せていただくことができた。朝から激しかった台風直前の風雨が不思議にやんだのも、偶然とはいえ印象深い。校長室では、皆で関寛斎のドラマティックな人生こそ大河ドラマにふさわしいなどと話がはずんだ。

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