俳句はどう詠うのか:その6

「語彙の持つ空間」 随聞小話第056回 (ひまわり誌2026年9月号より)

   〈願わくは方丈裏の苔の花 松岡さつき〉

 この句は今年の夏季鍛錬句会の折に天龍寺で詠われたもの。

 上五の「願わくは」という言葉が印象的です。個人の知識や思い出に触れるからです。「願わくは」で、まずイメージするのは〈花の下にて春死なん〉という和歌で知られる西行法師の趣の世界です。また私は幼少期にキリスト教の日曜学校で「主の祈り( Oratio Dominica )で「願わくは御名をあがめさせたまえ」と唱えていたのを思い出します。そういう知識や思い出がないまぜになって、少し俗を離れたような、郷愁のような趣を感じるのです。「願わくは」は「願はくは」と旧かな遣いで書くべきであると主張する人がいるかもしれません。でもそれは言葉が纏っている力の本質を見ていないと思います、この場合時代を超越した人間の祈りに近い趣こそ重要なのであり、旧仮名にするのは間違っています。俳句の趣をある狭い方向(古典的な雅趣とでもいうのかしら)に導くからです。

 また「方丈裏の苔の花」という言葉にも、ひそとした趣の強い力があります。「苔の花」も「裏」にもそういうイメージがあるからです。俳句はそういう語彙が持つイメージの空間を利用します。しかしあくまでイメージは詠み手と読み手が共振して作り出すもので一歩的に意味を伝達するもので張りません。                     

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