随聞小話第十八回
蛍
蛍来てともす手相の迷路かな 寺山修司
いつのころからだろう、蛍が、はかない命の象徴のように考え始められたのは。
枕草紙では【螢の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。】とあり、興趣は「あはれ」でなく「をかし」である。現代では、〈たましひのたとへば秋のほたる哉 飯田蛇笏〉、〈 じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子〉があるように命や「はかなさ」の象徴とすることが多い。掲句の寺山修司は前衛演劇「天井桟敷」の主宰者、俳句短歌を嗜み、私も愛読している。その寺山であっても蛍の昔からの興趣から逃れられない。それほど日本人の心に根付いている。
生臭き手のひら蛍飛び立ちて 冬扇